カテゴリ: 感想とか

前回の続きです。乱文で長文です。そして育児全く関係ありません。


私はこれまで、料理をするときにはネットでレシピを検索していた。
レシピを検索すると真っ先に出てくるのはご存知クッ◯パッド。
そこで手頃そうなものを選んで作ったわけだけど、
何故だかいつも上手くいかなかった。
美味しく作れるはずの人気レシピにも関わらず、私が作ると不味かった。


唐突だが、知人に駅までの道を案内するために、下記のような地図を書いたとしよう。
BlogPaint
(図のクオリティについては深く考えないで下さい) 

これを見ながら駅を目指した知人が交通事故に遭ってしまい、
「何で『信号が赤のときは横断歩道を渡らないで』と
ちゃんと書いておいてくれなかったんだ!
書いてなかったから、渡って轢かれてしまったじゃないか!」と責められても、
「それは知らねーよ…」としか言えないだろう。
 

確かに上の地図は、「車に轢かれると最悪死ぬから、
信号が赤いときは渡ってはいけない」という
交通ルールを知らない人にとっては大変不親切なものだ。
「〒」というマークだって、知らない人には何のこっちゃ分からないだろうし、
「コンビニ」とだけ書かれても「これはセブンなの? ミニストなの?」と
悩んでしまう人もいるかもしれない。

私にとって、ネットで見るレシピはそういうものだった。
レシピが悪かったわけではなく、私にレシピを読むだけの知識がなかったのである。

 
クックパッ◯のレシピの多くは料理上手の人が
「これ作ったら美味しかったよ」と投稿しているもので、
私のような無知な初心者に「教えてくれる」ものではない。

例えば「食材を切ります」と言われたって、
私は「どのくらいの大きさで切るの? 皮は剥くの? 水で洗うの?」と躓くし、
「炒めます」と言われても、「強火なの? 弱火なの? 油を引いてから?
フライパンは温めるの?」という始末。
そこで素直に「あ、これ分からないな」とブラウザを閉じていればよかったけど、
私は「自分が分かってないことも分からない」状態だったので、
まさか自分のやり方が滅茶苦茶だとも思わず、そのまま強行してしまっていた。

説明文の少ないレシピで上手く作れる人というのは、
言われなくたって「こういう料理のときはこのくらいの大きさに切る」とか
「この食材は皮を剥いてアクを抜いておく」とか
「炒めるときは油を温めてから中火で」というようなことが
当たり前のように分かってる人なんだと思う。
私達が赤信号を見れば止まるように。


そしてそんな基礎も知らない私は、
融通を利かせることだって出来ない。
フライパンから焦げ臭いにおいが漂ってきても、
「でもレシピには6分炒めるって書いてあったから」と火を弱められない。
え…?と思うかもしれないけど、これはマジな話で、
何故なら私は「レシピに書いてあることを無闇に変えてはならない」と思い込んでるし、
「ここで火を止めたり弱めたりすることが料理にどう影響するのか分からない」ので
勝手なことは出来ないのだ。
文章を書いてる途中にパソコンの電源を引っこ抜けばデータは消えてしまう。
それと同じノリで、ここで火を止めたら料理が台無しになってしまうかもしれない、
という恐れを無意識に抱いていたんだと思う。
人間、知らないものは怖いものだ。


そしてもう一つ。人間、知らないものを大事にはできないものだ。

私は多くのレシピに対しいつも、ある不満を持っていた。
それは「理由を教えずに指示すること」である。
プロの料理家や、親切な方が書いたレシピには、手順が多少は詳しく書いてある。
例えば「肉を揉み込みます」とか「繊維を断ちます」とか。
でも私はそういう指示を大抵おざなりにしていた。
何故なら「必要性を感じなかったから」である。
要は「どうするか」は書いてあっても、「何故そうするのか」まで書かれたレシピに、
私は今まで出会えずに来たのだ。
※これは前回の記事で書いたように、私が極度のめんどくさがりで
なるべく説明文の少ないレシピを選んでいたせいである。
そう、全てはめんどくさがりという性分が悪かったのだ…。



レシピに書いてある以上まるっきり無視も出来なかったが、
それをやることで何がどうなるのか分からないし、塩梅もさっぱりだから、
態度を咎められたオリンピック選手が「チッうっせーな 反省してま〜す」と
舐め切った態度で謝罪するのと同様に、
「チッうっせーな はい揉み込みました〜」で済ませていたのだ。


そら失敗しますよね。

前回の記事で蕎麦が何故かすいとんになった話を書いたけど、
あれも「たっぷりの湯で茹でる」ことをしなかったからだと思う。
「たっぷりの湯で」という記述を見て、私は「水を大事にしろ」くらいに思っていた。
「たっぷりの湯じゃないと、麺がくっついたり、水温が急に下がってグズグズになったり、
他にも色々理由がある」ということを全く知らなかったからだ。





で、私は前回の記事で書いた通り「失敗の原因を突き詰めなかった」ために、
失敗を重ねるだけ重ねて、
「何が何だか分からないがとにかく私には作れないらしい。
料理が私を拒んでいるとしか思えない」と落胆して終わっていた。
世界(ザ・ワールド)を知らないポルナレフが、
「何を言ってるのか分からねーと思うが…」と狼狽するのと同じである。


だから何度も何度も失敗してるのに、馬鹿みたいに起き上がり
毎日ク◯クパッドを見て不味い料理を作る、をずっと繰り返していた。
クックパ◯ドのゾンビである。


そのエンドレス・クック◯ッドが終わりを迎えたのは、
拍子抜けするくらい簡単なきっかけからだった。

「初心者向けのレシピ本を買った」のだ。

小田 真規子
高橋書店
2012-04-28

↑アフィじゃないので、どしどしご参照ください!


私にこの転機をもたらしてくれたのは、ツイッターの相互フォローの方
(と言っても私が直接教えて頂いたのではなく、
別の方との会話でこの本をお薦めしているのを私が盗み見た(?)からだけど…)。
そのときは単に「へー、買ってみよ」と興味本位だったが、
開いてみて衝撃を受けた。

本の冒頭、「料理が上手に作れない人の地図」が載っていた
(最初にレシピを地図に例えたが、それはこの本の受け売り。ちょっと違うけど)。
これ、私じゃん…!
「味がなんか薄い」「いもがボロボロ」「こげた」「生焼け」
書かれている全てに心当たりがあった。
そして「この本を読めば、こうならずに済む…!?」という希望が一瞬で沸き上がった。

実際にレシピを見て、
「クッ◯パッドがいかに私向きじゃなかったか」を悟った。
私に必要な情報がク◯クパッドの多くのレシピには書いておらず、
この本には書いてあった。
(もちろんクックパッ◯は何も悪くない。
地図描くときに「道路を渡るときは左右を見て」なんて書く人はいない)

例えば「揉み込むのは、鶏肉は水分が多く味が入りにくいから」とか、
「肉の繊維を断つと柔かい食感になり、肉が反り返るのを防げる」とか。
今まで「何でそんなことをやらされなきゃいけないのか」と思っていたことが、
たくさん書かれていた。いわばこの本は「答え合わせの本」だった。

 「何故料理を上手く作れないのか」の答えを手にした私は、
その日から(自分で言うのもなんだけど)メキメキと腕を上げた。
もちろん元がマイナスからのスタートだから、
リンゴを素手で叩き割っていたゴリラが
ナイフを使う人間に進化したというレベルだけど。

信号が赤いときは渡らないというルールを知った人が
もう車に轢かれないように、
「何故そうするのか」を知ったことで、
ごく標準的な「美味しい家庭料理」 を作ることが出来るようになったのだ。

そして料理がとんでもなく楽しくなった。
人間、出来ることは楽しいのだ。



ちょっと長くなりすぎたので後日にします。
取り留めなくてすみません。 

(育児関係ないです。ただの自分語りです)

私は料理が苦手で、主婦でいながらこれまで碌な食事を作ってこなかった。
いや、個別に見ればそこそこ美味しい夕食を供した日もあったはずだし、
深刻な味覚障害とか脳にハンデがあるとかでは多分ないので
ネットでネタにされるような壊滅的な「メシマズ」「グロ料理」というものは
ないけど、常に私には「料理が苦手」という自己イメージがあった。

そんな私が今、料理を頑張っている。
専業主婦になったんだからそら料理くらい頑張れよと思われるかもしれないが、
料理というのは私にとっては少し特別なものであって、
ここ最近の料理への頑張りもまた私にとっては革命的なものだ。

私は記録廚(何でも記録に残しておかないと不安になる類いの人)なので、
料理に向き合えるようになった経緯も残しておきたく、このブログを使います。
もう一度書きますが育児関係ありません。


※何年か前の大晦日、実家で家族のために年越ソバを茹でたら
なぜかすいとんのようなものが出来て、
田舎から遊びに来ていた祖母が「生きていればこんな日だってある」とか言い出し、
キレかけていたソバ好きの父が祖母の言葉を聞いて
「今日は大事なことを学んだよ。逆境のときは、ピンチを逆手に取って楽しむことが
大切なんだ」と語り出したことがある。私の料理は逆境らしい



〜料理について本気出して考えてみた①〜
どうでもいいけどポルノグラフィティはシングル曲しか知らないし
楽曲をよくBL妄想のネタに使われてる人達というイメージなんですが
この「◯◯について本気出して考えてみた」という言葉の語呂の良さが大好きで
しょっちゅう使います。あと個人的には『アゲハ蝶』より『サウダージ』の方が色々捗ります。
あれは一人称が「私」なので女性が主役の詩に思えますが
私は心身が腐ってるので「女」と書いて「おとこ」と読むくらい朝飯前です
(ファンの方すみません本気にしないで下さい)



なぜ私は料理が苦手なのか? ということを考えてみると、
①面倒くさいというイメージが強すぎる
②身にならない失敗体験が多かった
の2点に集約されるのかなということに思い至った。

まず一つ目は、私が極度の面倒くさがりだということに由来する。
どのくらい面倒くさがりなのかと言うと、レシピを見て
「しょうゆ 大さじ2、酒 大さじ2、砂糖 大さじ1」などと書かれているだけで
「3種類の調味料を計測するの? めんどくさ」などと思ってしまうくらい。
 こんなんだから、今までは極力手順の少ないもの、
例えば味付けはめんつゆオンリーとか、ケチャップをぶっかければOKとか、
そういうレシピを優先的に選んできた。
調味料が4つ、はたまた5つくらい書いてあるものは、
とても私には無理だ! つーかめんどくせ、と除外してきた。
もちろん少ない調味料で美味しく出来る料理も多くあれど、
そればっかじゃ夕食としての満足度は低い。

私には「料理はめんどくさくない」とイメージを変えるか、
あるいは「料理は面倒だが、しかしそれが楽しい」と感じ方を変える必要があった。


二つ目は、今まで数多くの失敗を重ねてきたが、
その原因や対策を考えなかったため
それらの失敗が何一つ成功への布石になってこなかったということ。
ただただ「夫に引かれた」とか「全部食べて貰えなかった」という
苦々しい記憶だけが残ってきたから、
料理は私にとって漠然と「何故かうまくできないし、できる気がしないもの」だった。

あと友達数人と食事に行った際、大皿の料理を取り分けようとしたら
「あ、それは別の子に任せよう? 私達が取り分けると残飯みたいになるから」と
苦笑いと共に言われ、ショックだったことがある。
その子も私と同レベルに料理が嫌いで盛りつけも苦手だったので
仲間意識からの忠告であり、悪意はなかったんだろうけど、
あのとき「私は料理に手を出しちゃいけない人間なんだ」と結構凹んだ。

そういう訳で私の脳には
「よく分からないが私は料理ができない星の元に生まれてるっぽい」という
意識がこびりついていた。

でも具体的なハンデがある訳でもなく
「料理ができない星の元に生まれた人間」なんていうのは
多分そうそういないし、私もきっとそうではないはず。
その根拠のない思い込みを取り除き、自信を取り戻す必要があった。

 

そして先日、私に転機が訪れた。
長らく天敵だった「料理」への扉が、ついに開いたのである……
(別にそんな大層な話じゃないです)。


長くなりそうなので、続きはその内
(気が向いたら&忘れなかったら&時間があれば&面倒くさくなかったら)…。

Netflixでブラジル映画『命のはじまり』を見たので、その覚え書き。
これはタイトルの通り人間のはじまりである赤ちゃん〜子供についての作品で、
親子の在り方とか社会における育児環境を親や専門家が語るという
ユニセフなどが協賛するドキュメントです。
ドキュメントなのでストーリーなどはありません。

インタビューを受けているのは世界中の人々。
欧米の比較的裕福っぽい家庭からアフリカの貧困街まで、
様々な環境での親子の姿を撮ってます。


既製のおもちゃは与えず理想の育児を実践する欧米の母親や、
12人も子供を産み、なお「もっと良い母親になりたい、
子供の意見に耳を傾けられる母親に」と語るアフリカの母親など、
人種や文化、環境が違っても、子供に対する思いや育児に際する葛藤は
正に世界共通だということが分かります。

仕事を退職して専業主夫になった男性や
"育児に責任を持っている"男性の話も聞けるので、男性にもお薦めです。
「妻は自分のやり方が正しく夫の育児を間違いだと思いがちだが、
育児には色々な方法があることを理解しなければならない」という指摘は耳が痛かった…。


↓たくさんの可愛い乳幼児が見られる予告編(英語)です。
水中出産のシーンはひええ…となりました。



以下、「へ〜」と思った点を箇条書きで。
一般の親の個人的な意見と、専門家による意見が混在している上、
それぞれのソースにはあたっていないので真偽は不明です(すみません)。

・北米では9割の母親が母乳で育てたいと希望しているが、
実際に母乳育児が出来ているのは2割弱〜3割弱。
・父親が育児参加することで母乳率が上がる。
(注:これは「母乳で育てるべき」ということではなく、
母乳を希望しているのに環境のせいで叶わない母親が多くいるのは
いかがなものか、希望通りの育て方が出来てしかるべきじゃないのか、という話だと思います。
ただこの数値がどういう調査によるものなのかは不明)
 
・親子にはコミュニティが必要。
アフリカには「子供を一人育てるのに村が一つ必要」という言葉がある。
(劇中には複数の家族で密接なコミュニティを作り、
助け合って育児をしているという人達も出てきました)

・子供は親の子であると同時に、誰かの孫であり、甥であり、隣人である。
ネグレクトも母親だけの問題ではない。

・幼児に1ドル投資すると、それが7ドルになって返ってくるという研究がある。
子供への投資は、将来の犯罪率を減らし、刑務所の運営などの費用を軽減できる。

・養子については事実をどう捉えるかによって変わってくる。
「親に捨てられた子」と言うこともできるが、
「生みの親によって、十分な環境で育児できる家族に託された子」とも言える。
つまり親から手放されたという事実を、
「拒絶されたから」ではなく「愛されていたから」と考えることも出来る。

 ・貧しさは子供の人権を奪う(衣食住や教育・医療サービスなど)。
 ・危険な環境で育つ子供は、ポジティブな会話がなくストレスレベルが高い。
 一日を乗り切るのにやっとで、鬱病や薬物乱用にも陥りやすい。
親に愛されてないからというのではなく、日常に押し潰されている。

 ・親は子供に必要なものを与えなければならない。
そして問題なのは、政府はそれが出来ない親を処罰はしても助けはしないということ。
今支援をしないと、将来の社会問題になる。 
経済的に困っていない親も、貧しい親を助けなければ、
将来我が子が大人になったときに社会が良くない状態になる可能性がある
(だから他人事ではない)。


他にも同性カップルや、養護施設で育ち現在は支援施設で働く人など、
様々な形で育児に関わる人達が出てきます。

特段目新しい内容とか革新的な話があるわけじゃないので
必見です!とまでは言いませんが、もし機会があれば是非。
子供達みんな可愛かったです。
ただタイトルで検索してもNetflix関連しかヒットしないようなので、
他で見る機会はあまりないかもしれません。


蛇足ですが、全体的に専業で育児に専念している女性が多く、
もしかしたらそこにモヤッとするものを感じる方もいるかもしれません。
育休についての話もあったし、働く母親を否定する意見がある訳じゃないので
(それに近く思える話は少しあったけど)、
働いてる人にとっても共感できる内容ではあると思うのですが。

最近のディズニー作品は、「うちはこういう方針で行きますよ」というのが明確で
観ていて気持ちいいものがある。その方針が合わない人は見てられないだろうけど。

「人を属性で判断するな」を始めとしたメッセージが、
道徳の教材ビデオみたいに分かりやすかった。
分かりやすいけど、言われてみると世の中そんな偏見ばかりだよねと思わされる。
一つ一つの台詞に、「そうだよね、そういうのよくないよね」って思うのに、
じゃあ実生活で自分はそういうの気を付けてるか?と問われると
ちっとも出来てなかったりする。

差別とかステレオタイプとかをテーマにしてるけど、
「強い人が弱い人を虐めてはいけませんよ」というところから
既に一周まわっているのだから恐れ入る。
こんなに良質なエンターテイメントでダイバーシティを学べる今の子供達は、
私達の世代とは価値観が全く違う大人になれるのかもしれない。

大分前にツイッターでも書いたのだけど、
Gleeでゲイ少年カートの父が、カートを侮辱したフィンに
「俺だって昔はゲイの仲間をからかった。
(ゲイに対する)考えを変えるのに時間がかかった。
でもお前は俺達とは違う、新時代の男だと思っていた。
考え方が最初から全く違う、新しい男なのだと」
みたいなことを言うシーンがある。台詞はうろ覚えです。
この台詞にはかなり痺れて、息子を産んでからも折りに触れて思い出す。
この子は新しい時代の子供だから、私なんかが身につけてしまった古臭い偏見を
受け継がせたくはないと強く思う。

そんな新しい時代の子供達を育てる映画だった。

ともすればちょっとお説教くさい内容を、魅力的なキャラクターと
テンポのいいストーリー、圧倒的な映像美で包んでいるので大人でも飽きずに観られる。
警察署長がバッファローというのが(バッファロー好きの私には)たまらないし、
ライオンハート市長や肉食動物の警官達のかっこよさには痺れる。
動きが『美女と野獣』のビーストっぽいのも嬉しくなってしまう。
そしてメインキャラのニックは本当に良い! 
飄々として掴み所がないけど弱い部分を隠している(たまに隠し切れてない)、
素直で心優しい魅力の塊のようなキャラクターだ。
あとディズニー(を始めとする海外の作品)って、
ナマケモノのフラッシュとか、ニックの"赤ん坊"みたいな、
ギャップのあるキャラの描き方が巧みだなと思う。
すごく分かりやすくて、「そうだと思った」って感じなのに、
まんまと笑ってしまうんだよね。細かなところまで作り込まれてるからかな。
フラッシュの出てくるシーンは場内に大人のクスクス笑いが溢れていた。
ズートピアにはあらゆる動物がいて、ズートピアを俯瞰するシーンでは
誰もが「あれは私だ」と思えるキャラクターがいそうなのも引き込まれる理由の一つだと思う。


ズートピア



あとジュディが落ち込んで部屋に帰り、ラジオをつけたら
Everybody hurtsやAll by myselfが流れてくるシーンはニヤニヤしてしまった。
まさかディズニー映画でR.E.Mが聞けるとは。
あと、あと、ゴッドファーザーパロの連発はもう楽しくて拍手したくなった。
ディズニー映画って基本的には子供がターゲットだと思ってるけど、
こういうところで「大人の自分も歓迎されている」とちゃんと思えて、それが妙に嬉しい。


それにしても映像のクオリティには毎度驚かされる。
毎度驚かされすぎてもう驚かないくらいだ。
ニックの尻尾のモフモフ感とか、景色の美しさとか、
これが人間がコンピュータ上で作ったものだなんて
素人の私にはにわかには信じられない。
トイ・ストーリーを初めて観た当時、何てすごいCGなんだ!と思ったものだけど、
今観てみるとちょっと笑ってしまうくらいテカテカしてるものなあ。
どこまで進化するんだろ。

私が観たのは2Dの日本語吹替で、
事前に情報を何も入れなかったので吹替を誰がやっているのかも知らなかったけど、
大体は特に違和感なく観られた。
上戸彩さんもよかったし、ニックの森川さん、
脇を固める三宅健太さん、玄田哲章さんらの安定感が素晴らしかった。
個人的にディズニーやピクサーの有名人起用は割と好きなんだけど、
やっぱり署長やら市長やら貫禄のあるキャラクターはプロ声優さんがいい。迫力が違う。

ただ一つ難点を言うと、ズートピアの人気歌手ガゼルの吹替は頂けなかった。
声や演技自体は別にそこまで悪く言うほどじゃないと思ったけど、
何せ本国版がShakiraで、日本語版でもラスト(ガゼルのライブシーン)はShakira版が流れる。
そこで歌の合間に話す声だけが吹替になってて……
Shakiraの骨太な歌声と、間に観客を煽る吹替の人の声が
いくらなんでも違いすぎて違和感しかなかった。
主題歌起用はいいとしても、このシーンは何とかならなかったのかなあ。

そういえばサバンナ高橋さんも出ていると知り驚く。
毎日コッシーで声聞いてるはずなのに。我ながらいい加減な耳…。

見終わって自宅に帰ってから本国版の声優を調べたら、
ライオンハート市長がJ・K・シモンズだった!
これは英語版も観たい。


子供がもう少し大きくなったらDVD買おう。

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