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三鷹の森ジブリ美術館に初めて行ってきました。

この美術館が出来たのは確か私が高校生くらいの頃だったと思うんですが、当時割と近くに住んでいたので家族と行こう行こうと話してて、でも完全予約制でなかなかチケットが取れなかったため、先延ばしにしている内に私が成人して結婚してさらには子供まで産んでしまうという。そしてその子供が早2歳1ヶ月。

その2歳の子を連れて、行ってきました。
息子はジブリ作品はまだトトロしか触れておらず、でもトトロだけは大好きで毎日のように見ているし(つーか私がこの美術館に向けて集中講座のように見せていたんですが)、『さんぽ』はかなりしっかり歌えるようになってきました。
美術館の内容をほとんど知らずに行ったので、私か息子、どっちかは楽しめるかなーどうかなーという感じだったのですが……。

ジブリ③
入り口にはトトロが。ここはチケットなくても見られます。
 
ジブリ②
鉢植えの中にはお湯屋。

館内は残念ながら全面撮影禁止なので画像はありません(パンフレットに、「物語の主人公になるには、カメラを向けるのではなく、この空間をご自分の目で見て、体で感じてください。そして、思い出は心の中に大切にしまって持ち帰って欲しい」という宮崎駿監督のメッセージが載っていました)。

建物は古い洋館風で、入ってすぐにステンドグラス越しに光が射す階段があり、全体がノスタルジックな雰囲気に包まれていました。ちなみにベビーカーでの入場は不可なので、入り口で預ける必要があります。
2階建てで地下から屋上までの4つのフロアに色々な展示がありますが、特に順路などは決められておらず、好きなように見て回ってくださいというスタンス。コンセプトは「迷子になろうよ、いっしょに。」だそうです。確かに初見では迷子になりそう。

最初に入ったのは常設展示室「動きはじめの部屋」でした。ここはアニメーション映画が出来るまでの歴史を追った展示室で、と言っても◯◯年に誰々が〜という堅苦しい話ではなく、「人はどのように絵を追いかけ、アニメーション映画に辿り着いたのか」というような内容です。昔はこんな仕掛けで動く絵を楽しんでいた、それがこんな風に進化した、こういう道もあった、そしてアニメーション映画に……という流れが、ジブリの絵や仕掛けで楽しめます。
薄暗い部屋に静かなピアノが流れていて、なんだか、「昔はこうだったんだよ」と静かに語るおじいちゃんの話に耳を傾けているような、穏やかでありながら確かに琴線に触れる、そういう展示でした。個人的には、この部屋だけでもうチケットを買う価値があるなあと思ったくらい。
息子にはちょっと退屈かなと一瞬思いましたが、とんでもなかった。ちょっと進化したパラパラ漫画のような立体像が展示されていたんですが、息子はそれに夢中になって、でも「おおおー!」という興奮ではなく、うっとりしたような、どこか切ないような顔でじっと見つめていて、こんな小さい子供でも感じるものがあるのかなあと何とも不思議な気持ちに。
ジブリ①

ジブリ作品って、こう何て言うか原風景とも言える絵やシーンが多いと思うんですが、この美術館もそういう雰囲気ですね。来たことないのに懐かしいという。そこに例えばトトロやロボット兵のような類い稀な想像力や創作力によって産まれた存在がいるので、懐かしいのにちょっと怖くて不思議でっていう、日常ではあまり動かない部分の感情をかき立てられるような場所だと思いました。


館内にはカフェとテイクアウトのお店があります。店内は満席で結講長い列が出来てました。カフェの一部の商品をテイクアウトできるカウンターがあったので、80円の「大鍋で煮出した麦茶」と、「クリームチーズとあんこのドーナツボール」を買いました。麦茶すげー美味しかった。


さらに常設展示展「映画の生まれる場所」。ここは宮崎監督の心の中を具現化したような部屋が連なり、アニメ映画に関わる人達が実際にどのような仕事をするのか、というのが紹介されています。ジブリ映画の絵コンテやスケッチなどが至る所に貼られているし、財宝が詰まった宝箱や、飛行機の模型や、大量の煙草の吸い殻や、多種多様な本が無造作に(と言っても計算されてるんだろうけど)どっさり置かれていて、宮崎監督のルーツに思いを馳せることが出来ます。好きな人はここだけで一日潰せそう。
アニメーターがいかに苦しみながら仕事をしているか、なんてことも垣間見えます。印象的だったのは、「昔はラジオなんかも持込まず、みんなで歌を歌いながらアニメを作った。今じゃみんなイヤホンして仕切りのあるデスクに突っ伏して描いてる」みたいな内容の貼り紙。この美術館、全面的に「古き良き時代」に思いを馳せる場所になってるんですよね。


そして待望の(?)「ネコバスルーム」。小さな部屋というか一角に、ネコバスの巨大ぬいぐるみがどーんと置かれています。 入れるのは小学6年生以下。5分間の入れ替え制で、大人は外から見るだけ。一応エリアの中にスタッフさんがいて、子供達が怪我をしないように見守ってくれています。
私達が行ったのは平日午後の早い時間だったためか、ほとんど幼稚園以下の小さい子達ばかりでした。
我が子がネコバスと戯れてる姿なんて、もう絶対写真に撮りたいんですが、残念ながら先述のように撮影は不可。しかも息子は戯れるどころか、ほとんどネコバスに触らず……。 ネコバスの中には「まっくろくろすけ」のぬいぐるみがどっさり入ってて、もう絶対気持ち良さそうなのに! ちょっとだけ手足に触ったり、目を突いたりしてましたが、部屋の中を彷徨ってる時間の方が長かったです。

ジブリ②

でも嬉しかったのは、息子の楽しそうな顔。ここで思ったんですが、うちの息子はどうやら「他の子が楽しそうにしてる場所」が好きみたいです。児童館でも公園でもどこでも、他所の子がキャッキャ言いながら遊んでると、特にその遊びに加わる訳でもないのに息子もやたら大喜びして、少し離れたところでニコニコしてるという姿が多いんですよね。何だかよく分かりませんが、きっと「楽しそうな雰囲気」が好きなのかな。もっと積極的に加わればいいのに!というお節介な親心がなきにしもあらずなんですが、でも他人の笑顔に幸せを感じられるというのはとても素晴らしいことだと思うので、ちょっと誇らしいし、長所として見守りたいです。


他にも色々展示があったのですが、息子の体力や私の都合などによりここで終わりに。何度行っても楽しめる場所だと思うし、チケットも大人1000円とかなり安いので、またその内来ようと誓いました。ネコバスルームは小6まで入れるし!

とにかく細部に至るまで宮崎監督とジブリの美学に浸れる美術館でした。昔は私も雲の中のお城や水中の世界を思い描く子供だったのに、今じゃ「撮影禁止かあ〜残念」なんて思ってしまうどっぷり世俗に染まった大人になったんだなーなどと自分を省みつつ、一時でもスマホの存在を忘れて胸を躍らせることが出来て、心が軽くなったような、さながらお湯屋に来たオクサレ様のようでした。まあ洗い流したところで私は神様じゃありませんけど………。きっと多くの大人がこの美術館でそんな気持ちになるんだと思います。



あ、もちろんロボット兵は見ました(屋外は撮影OK)! 息子はよく分かってなかったです。怖がってもなかった。
ジブリ

 

2児の父親であり、心理療法士でもあるピエーロ・フェルッチさん(イタリア人)が書いた本『子どもという哲学者』を読みました。

子供を通して感じたこと、人生の新たな発見を豊かな文章力で表現している本で、もう一行一行「わかる…」と思いながらあっという間に読んでしまいました。私が息子を産んでから、また育てながら感じたことがそのまま書かれていて、というか正確にはなんとなく感じていながら上手く言葉に出来ずにいたことを明確に書いてくれていて、いっそ表紙の一部を細工し「著者:私」として本棚の一番目立つところに置いておきたいくらい(なんつー図々さだ)。もし身近に、子供なんて産んでどうするの? たくさんのものを失うのに? と問うてくる人がいたら、「この本を読んでほしい、ここに(私が言いたいことの)全てが書いてあるから」と答えたいくらい。

子供を持つと確かに多くを失いますが、得るものも莫大です。そして得られるのは、家が賑やかになるとか、老後の楽しみが増えるとか、そういうことだけじゃないんだ、もっともっと深い部分、人生の根幹に関わる部分が、自分の在り方が確かに大きく変わるのだということが、この本には平易な文章で書かれています。親になると、命や死、時間、人生、自分自身という存在、あらゆることへの見方・感じ方を変えることが出来るわけです。もちろん、「人生観を変えたいから」なんて理由で子供を産む人はあんまいないと思いますが、理由にはならずとも、意味としては素晴らしいのではないでしょうか(子供を産む意味)。
ただ、子供を持てば誰もが自動的に変わるわけではもちろんありません。子供のいる生活に不満たらたらになってしまうこともあります。そこで著者は「僕はこうやって切り替えた」と、その発想の転換について書き綴っています。

ー要するに、親であるということは、奴隷になって神経症を起こすか、未知の世界への心躍る旅に出るかの、どちらかなのだ。(p.15)


子供を持つと何が変わるかって、生活ですよね。夫婦間の豊かな時間や知的な会話はごっそり削られ、毎日が慌ただしく、最寄りのスーパーに行って卵を買うのが大変な労苦となり、狭い通路にわちゃわちゃと珍しい商品が溢れてる楽しいお店とはお別れしなければならない。
もちろん子供は可愛いし癒されるし面白いんだけど、でもやっぱりふとした瞬間に「子供がいなければ出来たこと」に思いを馳せてしまうんですよね。もっとゆっくり寝てたいなあとか、思い立った瞬間にさっと家を出て美術館行ってお茶してアニメイト行って帰宅してお菓子食べてお風呂入らないで寝ちゃう日曜日が懐かしいなあとか(汚ねーな)。

この著者ピエーロさんもそうで、インテリなのに夫婦の会話がおしっこがどうとかウンチがどうとかばっかになり、日の出より早く起きないと自分の時間が持てなくなり、食堂で一山いくらの食事をかき込むようになり……そんな生活を嘆きたくなる。でも彼はそんなことよりもっとポジティブな面に目を向けました。それは単に「でも子供ってぷくぷくしてて可愛いし!」「安い食堂でも意外と楽しいじゃん!?」ってことじゃなくて、自分の生き方に関わることや、あるいはより壮大で人間の神髄に触れるような変化。そして著者は、子育てを通して自分自身を新たに発見したわけです。

ーそうするとぼくのアイデンティティーもちがったふうに見えてきて、豊かで多彩になってくる。ひろがりができるのだ。そのひろがりへの意識が深まるにつれて、ぼく自身のイメージも前よりふくらむ。子どもたちと暮らしていると、一瞬ごとにすべてを考え直すようになり、より自分らしくなるのを感じる。たしかにぼくは変わったのだ。(p.78)

そして、育児の具体的な話もたくさん出てきます。二人の男児に関するエピソードは、正にあるあるって感じで、国が違ってもこんなに同じとは……普遍的すぎる……と驚く程です。ちょっとずれるけど、少し前にツイッターでコンビニのエロ本が話題になってましたが、イタリアに住む著者も「売店で子どもの目につくとこにゲスなポルノが売られてて不愉快」的なこと書いてます(ツイッターで、「欧米ではちゃんとゾーニングされてる」って主張を読んだ気もするが……)。
難しいこと抜きでも、単に育児あるあるエピソード集としても楽しめます。夫婦間の関係修復についても触れられてるし。

私は育児へのヒントあるいは答えを求めて、今まで色々と育児書を読んできました。そんで育児書ってのは大抵「正しい育児」として、「親というのはかくあるべし」ということが書いてあります。要は「大変だろうけど、子供のために我慢して」と。もちろん私もある程度の理想を持っていますが、それでも実際には「ちょっと待って〜」を連発しつつ自分の作業に夢中になってしまうし、強引に手を引っ張られると、あーもう……とため息をつきたくなることもある。
どんなに「子供のために」と言われても、親だって人間なんだからそこまで滅私奉公(滅私奉子?)できないですよね。

だけどこの本は、私達と同じように育児に奮闘している親が、「子育て意外とキツい。削られる。けど僕はこうしてみたんだ、こう考えるようにしたんだ、そしたら子供はこういう反応するし、僕の生活もこうなったわけよ」と書いているから、いくぶん受け入れやすいです。
そして著者のやり方は、子供と親双方が人間として豊かな人生を送るためのものです。なかには「それは理想論では」とか「あなたはそうしたのかもしれないけど、それは私には無理だ……」と思う部分もあるわけですが、それはまあ個人差なので。
ここに書かれているのは、取ってつけたような「うんうん、お父さんお母さんも大変だよねー↓ 辛いよねー↓ でも親なんだからちゃんとしよう?」という上辺だけの共感やお説教ではなく、著者自身の経験であるため、少なくとも私にとっては、これまで読んだどの育児書よりも説得力がありました。育児書をdisりたいわけでは決してないのですが!

ー子ども相手だと忍耐力が要る。これも子どもができる前から知っていた。でもじっさいに父親になってみるまでは、ちゃんとわかってはいなかった。並みの忍耐力ではつとまらないのだ。どんな性格で、どんな教育を受けている人でも、家庭をもったらある種のきまった状況に繰り返し直面せざるをえなくなる。同じことを何度も言うとか、たえず邪魔されるとか、子どものゆっくりしたリズムに合わせるとか、無秩序や混乱に慣れるとか、やりたいことを諦めるとか。(p.133)

そして一般的な育児書にも書いてあるような、「おざなりな対応しない」とか「期待を押し付けない」とか「頭ごなしに口うるさく言わない」とかを、もっと「何故そうしてはいけないのか、そうすることで僕達の人生はどうなっていくのか」を具体例を交えながら噛み砕いて述べているので、より納得できました。納得というか、身に付いた感じ。

ー彼らにとって大人というのは、図体はでかいが心ここにあらずの巨人で、たまにその気になったとしても、パンの切れ端くらいしか恵んでくれないやつなのだ。だから子どもと同じ高さになって、言うことにじっくり耳を傾けたら、彼らにとって大人は、どんなにちがった存在になることだろう。(p.26)


ーなぜ自分の期待を、子どもたちを通して実現させようとするのだろう。いまのぼくにはよくわかる。ぼくは自分では実現できなかったありとあらゆることを、子どもに肩がわりさせようとしていたのだ。ぼくにはできなかったから、おまえ、かわりにやってくれないか、ぼくはおまえのなかで暮らして、おまえをとおして満足したいから。(p.51-52)

実際、この本を読んだ後、息子の前でスマホやる時間を今以上に減らそうと自然に思えたし、「私の理想の息子像」を前提にして物を言ったり、息子の行動にあれこれ口出すのを少しやめるようになりました。いつまで続くかは分かりませんが……。
ちょうど昨日、車で大きな公園に行ったんですが、息子は大きな遊具もほどほどに端っこで木の枝を拾ったりしてたんですよね。そういうとき、いつもは「ねー、せっかく来たんだからあっちの大きな滑り台やりなよー」と息子に声かけたり、「これならわざわざ来る必要なかったよね。笑」とか夫と話したりしてしまうんですが、それは止めました。口に出す前に、「あ、そういうこと言うのやめよう」と思えました。そんなこと、息子にとって何の有益性もないし、アドバイスどころか息子の足を引っ張る言葉だと実感できたから。まーそのうちポロッと言っちゃったりもするんでしょうけど……。そこは完璧じゃなくてもいい……ですよね……。

ー親ならだれでも、気を落としたり自信をなくしたり、どうしていいかわからなくなったりすることがあると思う。ぼくだって幾度となくそんな体験をした。(p.141)

ちょっと胡散臭い……なんか「この本を読んで人生変わりました!」みたいな書き方になってしまったけど、別にこの本は「目覚めよ!」的な啓蒙書ではありません。著者はあくまで「僕はこうした」って書いてるだけで、どこにも「だから皆さんもそうしてください」とは書いてません(多分)。もちろん全然共感しない人もいると思う。著者は放任主義を自称してるし、何いってんだこいつと思う人も結講いるかもしれません。
子育てにいい加減うんざりしてる人や、端っから子供なんて人生の無駄だと信じてる人がこれを読んで気持ちが変わるかというと微妙ですが、育児にある程度やり甲斐を感じてて、子育ての深淵を見たい、親としてより意識を高めたいという人にはお薦めです。(と、意識低い系の私が言う……)

ー子どもたちはぼくらの仕事の成果ではないし、彼ら自身の人生も人格もある。けれども彼らの教育はぼくらの創意にかかっていて、よくもできるしいいかげんにもできる。「神はこまごましたことのなかにいる」という言葉がある。大がかりなことに自分のすべてを投入できる人はたくさんいる。しかし人の価値は、ささいなこととどう向き合うかにかかっている。(p.177)


子どもという哲学者
ピエーロ フェルッチ
草思社
1999-08


※写真が多いので、重かったらすみません…。

息子の誕生日に、横浜アンパンマンミュージアムに行ってきました。

ここでは誕生日の子供だけ特別イベントに参加できるそうで(誕生日当日じゃなくても可だと思う)、それを狙って行ったんですが……。ミュージアムのオープンは10時。着いたのが10時半。既に40名の定員に達したので締切ってました。30分で40人も誕生日の子来ちゃったの!?と驚きましたが、後で調べたらオープンと同時に締切、なんてこともよくあるようです。アンパンパワーを舐めていた。
つーか10時半時点でチケットブースの前に行列が出来ていて、入館までに10分程度かかったので、かなり早く着いてないとダメだったっぽいですね。平日なので大丈夫だろうと舐め切ってました。

中はそんなに混雑を感じず余裕を持って見られましたが、土日はすごそう。 
客層は当然ほとんど子連れでしたが、中には中国人観光客らしき若者もいました。中国でアンパンがどの程度知られてるかは謎ですが、若い人が来て楽しいもんなのかな? 私は割とアンパンが好きですが、それでもここは息子がいなかったらさすがにキツいです。どうでもいいけど、中国ではアンパンマンのことを「麺包超人」と言うらしく、それはいいとして、ばいきんまんが「細菌人」なのは涙を誘います。

息子は新高島駅のアンパンマンの道案内でもうテンションがアゲアゲでした。ミュージアムに着いてからは、はしゃぐというより、もうただただ圧倒されて、静かに感動を受け入れている……という感じすらしました。 一面にアンパンマンキャラが描かれた壁の前をゆっくり歩き、一人一人指をさしてホゥ……と堪能してたり。

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こういうジオラマ大好きなので(私が)楽しかったです。

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子供達が群がっていてなかなか上手く撮れなかったのですが、アンパン軍団勢揃いは圧巻でした。ばいきんまんは上空にいました。

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こういう小細工(?)があったり。

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誕生日イベントは逃しましたが、敷地内にある不二屋ペコズキッチンで550円の誕生日メニューを注文。11時くらいに入店したら割と空いてました。誕生日メニューは、名前入りプレート付きのデザートの他、アンパンマンケーキ(プラスチックの作り物)でローソク吹き消し、店員さん一名によるHappy Birthday唱歌、風船プレゼント、記念撮影などのサービスが付いています。
息子が上手にローソクを吹き消したのが嬉しかったです。一連のサービスの間、隣のテーブルのご家族が暖かく見守ってくれてたのも地味に嬉しかったです。
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デザートはホイップクリームとアイスがついてて、このへん息子に食べさせるのはどうかなと迷ったのですが、さすがにこれを取り上げるのは酷だったので一緒に食べました。名前入りのチョコプレートは私が食べたけどな!(美味しかったです)
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敷地内には他にもいくつか飲食店がありましたが、ベンチでお弁当を食べている家族なども結講いて、それも楽しそうでした。

あとはアンパンマン商品で埋め尽くされたお店でお土産を買い(ここで息子のテンションがMAX。おもちゃのサンプルがあったり、遊べるスペースがあったり、「ちょっと覗いてみよう」レベルでは済まないお店でした)、最後にミュージアムを一周し、お昼過ぎには離脱。
ミュージアム内には支援センターのように靴を脱いでおもちゃで遊べるスペースもありましたが、ここで遊び始めたらもう収拾がつかなくなるので逃げました。帰宅ラッシュに巻き込まれることだけは避けたかったため。
息子が帰りたくないと泣くかもな〜と思ってたのですが、意外とすんなり出ることができました。満足したのか、そろそろ帰りたかったのか、あるいは「もっと良い場所に行くのかも」と期待したのか……。帰りの電車ですぐに熟睡し始めたので、 多分疲れてたんだろうな。

滞在時間は食事含めて4時間くらい。一人1500円の入場料でしたが、子供はおもちゃが一個貰えるし(この日はシャッターを押すとアンパンマンが顔を出すカメラのおもちゃでした)、ちょうどミュージアム10周年でフォトスタンドが2個ついてたので、短い時間でも決して高い値段には思いませんでした。


誕生日イベントに参加できず最初はがっくりしたものの、 終わってみたらむしろ変に拘束されず自由に見て回れたし、レストランのお祝いがとても充実していたので、却って良かったんじゃないか?とすら思いました。誕生日イベントはお昼前から30分くらいかかるので、それに参加してたらレストランには行けなかったかもしれないし(さすがに12時過ぎ以降はかなり混んでいたし、数時間待ちなんて日もあるらしい)。

アンパンマン達とは写真が撮れませんでしたが、息子は館内で遭遇した食パンマンにもカレーパンマンにも「おぉ……」と畏怖を感じて戦くばかりで近寄らなかったし、アンパンが登場するショーもそんなにハマってなかったので、そんなに残念でもないかも。もちろん、機会があればお願いしたかったですが!
しかし初めて生で本物の(?)パン達を見ましたが、食パンマンが予想以上に美男子に見えてときめきました。ミュージアムに行ってから、パン達をより身近に感じるようになり、最近はカレーパンってやんちゃキャラっぽいけど実は一番大人だったりするよな〜とか思いながら見てます(私が)。


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後ろで立ち見したんですが、これはみんなで童謡を歌いましょう〜という感じで、幼稚園のお遊戯みたいでした。もっとこう、アンパンとばいきんの白熱のバトル、アン食カレーが熱い友情を誓い合うみたいなシーンがあると嬉しいです(私が)。

息子がアンパンマンにいつまでハマっているか分からないのですが、もしこの熱が来年まで続くのであれば、3歳の誕生日も行きたいです。今度は開館前から並ぶ覚悟で。

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Netflixで映画『バッドママ』を見ました。

タイトル通り「悪い母親」の話。と言っても虐待とか云々ではなく、「こんなに頑張ってるのに何もかも上手くいかない。どうせ私は悪いママですよ! っていうか、良いママって何? そんなの言い出したらみんな悪いママじゃないの? でもそれでいいじゃん!!!」という、ママブチギレ映画です。


〜あらすじ〜 
32歳のエイミーは、20歳で第一子を産んで以来ノンストップで母親業を頑張ってきた。毎朝朝ごはんを作り、二人の子供を学校に送り、専業主婦のPTA会長(いわゆるボスママ)達に「子供と一緒にいたくないの〜?」「働き者ねーすごいわー(棒)」と嫌味を言われ、仕事へ行けば無能なボスに仕事をどっさり任される。週3勤務のパートのはずなのに、気付けば毎日出社して誰より仕事してる。
家族の夕食を作るべく両手に食材抱えて帰ると、先に帰宅してすっかりリラックスしてる夫に「登山でも行くの?」と笑われる。しかもその夫、ネットの知り合った女と何ヶ月も前からライブチャット(要はエロチャット)してたことが発覚。「これって浮気じゃないの? この女のこと好きなの!?」と問い詰めると、夫は「あーそうだよ。でも大袈裟すぎる」と逆ギレかまして家を出て行ってしまう。

それでもなんとか1人で家事育児仕事に奮闘しようとするが、すぐにキャパオーバーでパンク。ヘロヘロになりながらPTAの「子供達の安全に関わる緊急ミーティング」に行ってみれば、くっだらない内容な上、ボスママに役員に指名されてしまい、エイミーはついにブチギレた。

「やってられるか!」と学校を後にしバーに行くと、保護者の間で除け者にされている二人の変わり者ママと知り合う。すっかり意気投合した三人は、もう好き勝手にやってやろう! 悪いママになってやる!と決意。
翌朝からエイミーは、朝食を作るのも仕事に行くのもやめる。とにかく自分を犠牲にして誰かに尽くすのをやめ、言いたいことを言い、やりたいことをやるようになる。でもそうしてる内にボスママの逆鱗に触れてしまい…………。


という話(なげーよ)。

↓英語版予告編
 


前半部分はとにかく「母親あるある」で、国が違ってもこんなに同じなんだ〜と逆に感心しました。よく日本では母親の負担が大きい、欧米では男性もこんなに〜という意見を聞くけど、この映画に出てくる夫はなかなかクソです。「育児はお前の仕事だろ! ベビーシッターに任せて遊ぶなんて」とランチ中の妻を連れ戻す夫とか。

全体的に、とにかく母親に寄り添った映画です。何が面白いって、これR指定なんですよね。子供には見せたくないシーンはもちろん、男性もちょっと引きそうな下ネタがあったりして、だから「親子で楽しめます^^ お子さんと一緒にどうぞ^^」という映画では全然なくって(子連れじゃ映画に集中なんてできませんから!)、「子供は寝かしつけるかどっかに預けるか、とにかく子供から離れてお母さん達だけで楽しんで!」って作品なんです。
特にエイミー同様にストレス溜まりまくってる人向けなのか、エイミー達がスーパーを激しく荒らし回るとか、ホームパーティでめちゃくちゃ羽目を外しまくるとか、物語から逸脱して「なんかとにかくhooooooo!!!!」って感じのシーンがいくつかあったりします。

それからエイミー達は悪いママなんだけど、子供のことはもうとにかく大切で愛しくてたまらない、って描写がちゃんとあるのも良かった。
前述のスーパー荒らしの場面でも、ぶっ壊れたように暴れ回ってるのに、途中でベビーカーの赤ちゃんを見かけて「か、かわいい………♡♡♡」ってうっとりするとか、散々子供のことを「うちの子は出来が悪くてさー」と愚痴っておきながら、「……でも愛してるんだよね。子供のためなら死ねる」と頷き合うとか。
仕事に遅刻しそうで子供を早く車から降ろしたいエイミーが、「降りて降りて降りて愛してる愛してる早く降りて降りて」ってまくしたてるのとか、笑っちゃったし、かなりあるあるだと思いました。私もなかなか布団に入らない息子に「ねんねねんね、早くねんねしようよ、ねんねあー可愛い可愛いねんねねんね」って言うので……。

それと母親の最大の悩みである、「子供をどう育てたらいいのか」というテーマにも触れてました。
「親は上等な習い事させたり、良い大学に入れようとするけど、本当に大事なのは子供を『良い人間』に育てること」というような台詞があったり。これは難しい話なので、触り程度でしたが……まあこれやろうとしたらもう一本映画作んないとダメですよね。
皮肉なのは、毎日必死で子供に尽くしてるエイミーの子供達はなんかちょっとうーんって感じなんだけど、性欲丸出しでめちゃくちゃマイペースで「子供の野球の試合? あんな退屈なもん見に行くくらいならアフガニスタン行く方がマシ」なんて言ってるシングルマザーのカーラの子は、アホだけど優しくて素直なんですよね(優等生っていうんじゃなく、心根が優しそうな感じ)。
この辺も少し思うところはありました。エイミーなんか良い母親であろうとするあまり、息子の宿題まで代わりにやってましたから。

母親だって人間だから自分を最優先にしたいときもある。誰にも感謝されないルーチンワークを投げ出したいときもある。家庭のことなんか忘れて自分の欲望を追ってしまう瞬間もある。そしてすっかり打ちのめされて倒れてしまうこともある。
だけど、やっぱり最終的には子供への愛があるし、自分のために闘えないときも子供のためなら立ち上がれたりする。そういう完璧でも理想的でもない、ただ人生を必死に生きているだけの母親を互いに肯定しよう、という強いメッセージがこの映画にはありました。

映画の作りはよくあるアメリカのコメディですが、決して見て損ではないと思います。続編のほか、来年夏に父親バージョンのスピンオフも決定しているそうなので、そっちもかなり楽しみ。
「俺は毎日仕事行ってゴミも捨てたりしてるのに妻にはイライラされっぱなし、育児しようにも男子トイレにはオムツ替えベッドもない! どうしろってんだよ!」的な話になったりするんでしょうか。
※何年か前に俳優アシュトン・カッチャーが男性トイレにオムツベッドがないことをツイートして話題になってたので。

あと、エンディングロールに出演女優さんの実際のお母さんが登場して、育児の苦労や思い出を語るという演出が素晴らしかったです。「かつて娘にこんな暴言吐かれたわ〜」とか「こんな失敗したのよ〜」と笑いつつ、「娘は素晴らしい女性になった」「今では私が見習わなきゃいけないくらい立派に母親やってる」なんて話してて、とってもジーンとしました。





ここからは蛇足なんですが。2004年の『ミーン・ガールズ』という映画をご存知でしょうか。
16歳で初めてアメリカの学校に通い出した主人公が、金髪のクイーンビーに目を付けられ、傷つけられたり傷つけたりしながらスクールカーストの中でもがく話。10代の女の子が抱える悩みや直面しがちな問題を分かりやすくコミカルに描いた大ヒット作です。私はこの映画で「アメリカにも便所飯がある」ということを学びました。
リンジー・ローハン主演のこの作品はアメリカの若者にとっても記憶に残る作品だったようで、向こうのエンタメ関連サイトを見てると未だにちらほら引用されてたり。



で、バッドママは完全にそれの「ママ版」でした。
2004年以前にもこういうスクールカースト映画は多くあったはずなので、ミーンガールズが元祖だという訳ではないんですが、2000年代前半に10代でミーンガールズを見て共感したり憧れた人達が、今ちょうど母親になってこの映画に惹かれるんじゃないかと思いました。
ちなみに、ミーンガールズは12年前の映画で、バッドママの主人公ケイティも12年前に第一子を産んだ設定になってます。


〜以下バッドママとミーンガールズのネタバレがあります〜
 
劇中もミーンガールズのオマージュなのか、似たようなシーンが出てきました。
ミーンガールズでは主人公ケイティがプロム会場で全校生徒を前に「クイーンだけじゃなく、みんな素敵。みんながクイーンだよ」的なことをスピーチするのですが、バッドママでもエイミーがPTA選挙のスピーチで「私は悪いママだけど、みんなもそうでしょう? 今の時代、完璧ママでいることなんて誰にも出来ないんだよ」と母親達に語りかけます。

また、ミーンガールズの別の場面では、ティナ・フェイ演じる教師が女子生徒を集めて「本音をブチ撒けましょう。陰口を言い合うのではなく、正々堂々と」と、生徒達がお互いに持つ不満を本人の前で言い合うよう促し、自分のコンプレックスを打ち明けさせ、その上で互いを受け入れるよう指導します。
バッドママでも自分の至らなさを正直に語るエイミーに触発され、たくさんの母親が次々と「悪いママっぷり」を暴露し始めるシーンがありました。例えば「見たいテレビの日は子供に睡眠薬飲ませてます」とか「7歳児にマッドマックス見せちゃった」とか。

そうして自分達が完璧でないことを知り、完璧なんてそもそも無理だということを認め、それでも必死に頑張ってる自分達を肯定し合おう、となったのでした。


こういうミーンガールズを彷彿とさせるシーンを楽しみつつも、正直げんなりした部分もあります。私達はあれから12年経ってようやく学校を卒業し大人になってスクールカーストだのつまらない見栄だのから解放されたはずなのに、母親として学校に戻ってまーた同じことを繰り返すのか……と。
だって、やってること高校生のミーンガールズ達と同じですからね。唯一の救いは、主人公の違いでしょうか。
ミーンガールズのケイティはクイーンに対抗しようともがく内に、いつしか自分が同じ穴の狢になって、ミイラ取りがミイラになってしまうんですが、エイミーはそうならない。最初から他人と張り合うことの虚しさを知っているから、ボスママの嫌味も(腹を立てつつ)スルーするし、除け者の変人ママとも偏見なく友達になる。
エイミーは紆余曲折ありながらも、劇中一度も「ミーンガール(意地悪な女)」にはなりませんでした。そこが一番良かったかな。

ミーンガールズもバッドママも共通してるのは、「女同士、助け合おう」と語りかけてる点です。
ミーンガールズは細かいとこ忘れちゃったんですが、バッドママでは繰り返し「今の時代、母親に負担がありすぎる」と台詞が出てきます。
そういう時代を終わらせよう、社会を変えようって大きな話ではなくて、「そんな時代だからこそ、せめてその大変さを知ってる私達が助け合わなくてどうするの」というメッセージがありました。
確かに育児ってただでさえ大変なのに、ママカーストだの何だのって、母親の負担を自分達で増やすのって本当に馬鹿げてるなあと思います。まあ、ママ友関係はテレビ番組とか雑誌とかが面白がって無責任に煽ってるようにも見えますけど…。
高校時代にスクールカーストのトップにいて、ママになっても頂点に立ってやる!と鼻息荒くしてる人がいるかと思うと恐ろしいですけど、そういう一部の人はまあ置いておくとして、「もう少し楽になれたらなあ」と思っている人同士だけでも助け合えれば理想的ですよね。


ちなみに、ミーンガールズの原作は『女の子って、どうして傷つけあうの?』という邦題で、女の子を育てる保護者向けに書かれた本だそうです。私は未読なんですが、親になった今読むべき本の一つかなと思っているので、その内手に取ってみるつもりです。


 
ミーン・ガールズ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
リンジー・ローハン
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
2006-09-08

 
 すげー長くなってすみません。ここまで来ると誰も読んでない気もしますが……もし読まれた方がいたら時間泥棒をしてしまったことをお詫びします。すみません。

前回の記事で大体言いたいことを書いてしまったので、
特に書くことはない…というか何を書いても蛇足にしかならなさそうで
全く気が乗らないけど、前回なぜか「続きは後日」と考えなしに予告してしまったため
一応記事だけは作っておこうと書き始めました。

料理について本気出して考えてみた①

料理について本気出して考えてみた②



今回は「料理への苦手意識を克服した私が、
実際に料理上手になるために(注:まだなってません)
意識・実践していること」をメモしておきます。
以下文体が変わりまして…


①レシピは「ただ一つの正解」ではない。

私はレシピというのは「その料理を作るための公式」のようなものだと思っていた。
台形の面積を求めるためには(上底+下底)×高さ÷2を使うように、
特定の料理を作るには、ただ一つの正解(レシピ)が必要だと思っていた。

だから検索する度に違うレシピが出てきて、同じ量の食材に対して
あっちでは醤油大さじ3なのに、こっちは大さじ2ってどういうことやねんと
割とマジに思っていた。思わず関西弁になってしまうくらい意味が分からなかった。

しかし、人の味覚が様々であるように、
料理は作る人と食べる人によって変わるものだ。
季節、温度、食材、体調によって味の感じ方も作り方も変わってくる。

以前は、よく夫から「もう少し濃い味付けにしてほしい」と言われてムッとしていた。
「レシピの分量通りに作ったのだから、これを薄いと感じるなんて
舌がぶっ壊れてるんじゃないの」と思っていた。

でも我が家では、家でごろごろしてる私と、仕事で疲れて帰ってきた夫とは
求めてる味が違う。そういうことが分かっていなかった。

逆に言えば、それが分かれば完成図を自分で想像できるということ。
いちいちレシピを見て、誰かが答えを提示してくれるのを待たなくても、
自分の舌で「もっと辛くしたい」「もっと柔らかくしたい」と目的地まで見通すことが出来る。
レシピというのは、目的地までの道が分からない人に
「もしよかったら、こういう道があるよ」という例を示すものに過ぎないのだ。


②料理は情報と知識の蓄積が重要。最初はなるべく動画を見る。

上手く出来ないし楽しくもなかったから、
これまでほとんど料理の情報に触れてこなかった。
でも最近分かったことだけど、料理の上達には情報が不可欠だ。
幸い料理というのは知識や情報を得るためのハードルが非常に低い。
机に向かってテキストを開かなくても、日々のテレビや雑誌、ネットなど
至る所に情報が溢れている。
中でもやっぱりテレビやネットで動画を見るのが一番効果があると思う。
パン粉の付け方とか、火加減の塩梅とか、炒めるときの手つきとか、
実際に上手い人の"タッチ"を見るだけで
自分のやり方も大分垢抜けるということが分かった。

最近では動画で見た料理を、レシピを確かめずに作るというやり方を試みてみたが、
これが意外にも上手くできる。
レシピを見ながら作ってもあれだけ失敗してきたのに、
動画を見れば細かい情報抜きで一発で作れたのだから驚いた。
レシピを見ながら作るのが塗り絵だとすると、
動画を見ながら作るのは模写のようなものなのかな(違う…??)。
どっちが向いてるかは人それぞれだろうけど。

料理動画をツイートしてるTwitterアカウントも結構ある:
例えば Tasty Japan とか。


③料理をするときは頭もちゃんと動かす。

話題の本『理系の料理』の著者もそうだったらしいのだが、
私も御多分に漏れず料理をするときに思考停止していた。
食材を準備するときも、ぼけーっと死んだ目でひたすら切っていた。
だからそれを止めて、
「どのくらいの大きさが火が通りやすいか? 」
「半分は違う切り方をした方が見た目がいいのでは?」等と常に頭を使うことにした。
料理は「作業」でありながら「計算」でもある。

「レシピに書いてあったから」あるいは「書いてないから」ではなく、
自分の頭で考えた結論で料理をする。
それがその内「私の味」になっていくし、それがある程度のステージにまで行けば
初めて「料理得意です」と名乗れるようになるのだと思う。


ここまでの紆余曲折(?)を経て、ようやく最近まともな夕食が出せるようになった。
何よりもの収穫は料理が楽しくなったということ。
初心者向けレシピ本でレシピの読み方を知って以来、
今まで「何故かは分からないが私にはどうせ作れないもの」だった様々なレシピ集が
「いくつかの点に気を付ければ必ず完成まで辿り着けるもの」に変わったからだ。
材料や行程を見れば「今の自分に作れるレベルのものか」ということも
大体分かるようになったから、以前のようにクック◯ッドの上級者向け料理に挑み
盛大に自爆するという醜態も晒さずに済んでいる。
特別な技術が必要なものを除けば、ある程度のレシピは初見でも再現できるようになり、
料理という苦行は「食べたい物・作りたい物を作るための作業」になった
(今までは「作れる物を作る」のに頭がいっぱいで、
「何が作りたいか」なんて考えたこともなかった。
食べたい物はあれど、それを自分が作り出せるとも思ってなかった)。


とは言えもちろん駆け出しなので人様に出せるようなものではないけど、
その「伸びしろがある」という状態もまた楽しさに拍車をかけている。
毎日色んなレシピやグルメ情報を見ながら、いつか作りたいものをチェックし、
夢を膨らませている。
大人になって、それも育児中という制限の多い身で、
こんなに「新しいことに胸を躍らせる」という経験が出来るとは思ってもいなかった。
しかもその新しいものというのが、今まで毎日イヤイヤやってきた作業だというから
発想の転換というのは面白い。
考え方を変えるだけで、また少しの知識を頭に入れるだけで、
こんなにも物事の見方が変わることを実感したのはなかなか貴重な経験だった。



〜さらに蛇足:献立について〜

今まで料理以上に大嫌いだった「献立を決める」という作業も最近は楽しい。
そのときの季節や気候、自分や家族の体調、買い物に行く場所など
献立のきっかけは日常の中にたくさんあることが分かったから。
何もないところから捻り出さなきゃいけないものじゃなくて、
今の自分や家族に必要な料理は何か、その日のヒントから
答えを探し当てるクイズのような感覚で献立を立てている。

今の時期のように野菜が高騰してるとか食費に余裕がないとかで
必ずしも「作りたい・食べたい料理」を選べない日もあるが、
そういう場合もスーパーで食材を買うときに頭の中でどう調理するかを
ざっくりでも決めるようになった。
以前はどう料理したらいいか、答えが無限にあるような気がして困ってたけど
冷静に考えてみるとそうでもないことが分かる。
調理法は限られているし、私に(技術的・時間的・経済的に)出来ることは
さらに限定される。その中から気分や体調や天気に合わせて選べばいい。


献立
↑以前読んだ初心者向け料理本(タイトル失念…)にこういう表が載ってたので、
これを脳内にセットして買い物してます。

↓こうやって料理を限定していく。
献立2
(今てきとうに思い付いたやつを書いただけなので深く考えないでください)


気力や体力、時間やお金に余裕がないときもあるので、
相変わらず「めんどくせー!」と投げ打ってしまいたい日もあるものの、
以前のように真っ暗闇の中を手探りで走り回っているような状態からは
大分改善できたと思う。

献立をしっかり立てることで買い物もスムーズになるし、
冷蔵庫の奥でいつの間にか腐っている野菜なんかも減ったし(今までは結構あった…)、
何より「はあ…今日の夕食なんにしたらいいんだろ…」という
子泣き爺のように背中にのしかかっていた
毎日の悩みから解放されたのは大きい。

このやり方は全然垢抜けてないしオススメとは決して言えないが、
漫然とやっていた作業に一度しっかりと向き合い、
自分なりの答えを出したことは私にとって大きな転機だった。
このきっかけをもたらしてくれた方に改めて感謝し、
無駄に長く書いてしまった記事を締めたいと思う。
今後料理に対する考えがどのように変化していくかは分からないが、
出来る限り楽しく上達させていきたい。
そして、いいかげん量より質の、
簡潔で要点のまとまった文を書けるようになりたいものである…
(次は「猿でも分かる、洗練された文章の書きかた本」と出会えることを願って…)。

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